飛騨高山 江名子川の橋 2008.4.17 撮影:今駒清則
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現在の高山に金森長近が1588(天正16)年に築城を始めた時、城山の東を北へ流れていた江名子川を西へ曲げて外濠とし、宮川とあわせて東、北、西の防御線としました。外濠となった江名子川の内側(左岸)には照蓮寺(高山別院)、武家地(空町)、町人町(上三町)を設け、外側(右岸)には東山の寺町、金森左京屋敷で固めています。 築城当時は濠のことですし、外側には人家も少なかったのでわずかな橋しか架けなかったのですが、幕府が安定すると街道や要所に橋が架けられ増えていきました。天領時代の18世紀中期には城山の東の「錦橋」から宮川との落合付近にある「布引橋」までの約1.3Kmの間に7橋になり、1905(明治38)年は12橋、現在では「布引橋」のさらに西に架けられた「千鳥橋」まで小橋を含めて20橋近くもあります。
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