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飛騨・高山 大雄寺の十王


高山市 大雄寺の十王 2007.10.11  撮影:今駒清則


 朝からお寺が建ち並ぶ東山地図に向かいます。以前に訪れた時に十分に見ることができなかったので改めてゆっくりと見たいと思っての事です。友人宅から城山の方に向かって歩き。高山の町を改めて見ると、伝統的住宅から新工法の住宅へ多くが建替わっていますが、それでもそこここに飛騨の粋を込めた住宅を見つけることができます。工務店にも伝統的住宅を得意とする会社もあるようで、飛騨びとのこころがここにもうかがえます。

 大雄寺(だいおうじ)境内の片隅にめざす十王堂はありました。建替えられたと見えて十王石像の背後にあった地獄極楽絵は無く、ただ石像群だけになっていて以前に感じた荘厳さがなくなっているのは残念です。十王像は延享4(1747)年(徳川吉宗の長子家重が9代将軍に就任直後)の刻字。他に奪衣婆(だつえば)や地蔵菩薩などもおられます。

 ここに掲げられている「十王堂由来」の説明から一部をお借りすると

「人の命が終わると極善の者は速やかに天堂(極楽)に往生し、極悪のものは直ちに地獄に堕ちるという。はっきりせぬ中善中悪の者は次の世の生縁が熟するまで待たねばならぬ。この間を中有(中陰)といって七日目ごとに遺族縁者が供養会を設けて誦経念佛し亡者のために追善回向すれば、その冥福の勝縁をうけて善処に転じ極楽に生まれることができる。」

とあります。つまり七日目(初七日)、泰広王の初回の裁判で善人は極楽へ、悪人は地獄行きが決まり、フツーの人は七日ごとに裁判が繰り返されて大体7回目までには行き先が決まります。有名な閻魔王は5回目の三十五日に担当。7回目は泰山王が受け持ち、それで忌明けとなるのですが、それでも決まらない者がいた時はさらに3回(百ヶ日、一周忌、三回忌)あり、都合最大10回の裁判を十王たちから受けて行き先が決定するのだそうです。でもどこかに堕ちていたとしても供養をすれば救済されるので滞りなく供養の法事をしなさい。というのをジオラマにしたもので、元は人通りの多い寺の門前にあって分かりやすい説教をしていたことでしょう。

 この行き先とは地獄道・餓鬼道・畜生道、修羅道・人道・天道の六道(六地蔵はまたそれぞれから救う菩薩)で、どこかへ振り分けられ、生まれ変わる転生のことです。子供の頃からよく聞かされていたことですが、この頃の若い親は知らないようですので、ご自分のためにも子供によく教えておきましょう。能楽ではよくとりあげられ、悪道、修羅道に堕ちたシテが現われてその苦悩を見せると、ワキの僧が供養して救済するというパターンになっています。(2007.10.11)


所在地: 浄土宗 東林山香荘厳院 大雄寺 岐阜県高山市愛宕町67  地図 リンク(浄土宗)



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