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京街道 4 京橋駅付近


京街道 野田橋跡 2010.1.9  撮影:今駒清則

 片町の土佐堀通から斜めに北へ向かうわずかな道が、かって鯰江川に架かっていた野田橋のあった所です。鯰江川はこの中央を横に流れていました。埋め立てた川の名残でしょうか、この間の道が窪んでいます。この道の北詰には1938(昭和13)年に建てられた「野田橋跡」の碑があります。

京街道 片町2丁目 2010.1.9  撮影:今駒清則

 京阪本線南側の下の道と、土佐堀通の続きの道(旧鯰江川跡)に挟まれた真ん中の道を東に向かいます。都市の中に残る旧街道ですから往時の名残となるものはまったくありません。ただ道筋だけが残るだけです。それで少々退屈な写真が続きますがご辛抱下さい。でも歩いている私はわずかに曲る道に、鯰江川の川筋に沿った京街道の名残を見つけて感激しているのです。

京街道 鯰江川跡 京橋ダイエー南 2010.1.9  撮影:今駒清則

京街道 鯰江川跡 京橋ダイエー南(川の位置を表示) 2010.1.9  撮影:今駒清則

 その鯰江川の跡です。今は埋め立てられて道路になっています。この先の方は前の写真の道筋と同じに曲っています。またよく見るとこの道路の左右が高くなっていて、それが堤であったことがわかります(川の位置表示は厳密な考証でなくイメージです)

京街道 京橋駅南の二人地蔵尊 2010.3.18 撮影:今駒清則

 京街道が京橋駅に近づくと京阪電車高架下の道と出合います。写真右の京阪電車沿いの道は新しい道ですが、写真左の道が京街道です。その追分に二人地蔵尊が祀られていました。

京街道 京橋駅南の二人地蔵尊 2010.3.18 撮影:今駒清則

 口紅をさし仲良く並んだお地蔵さまです。お堂には由緒書きがありましたので長文ですが転記します。

二人地蔵尊の由来

  右側小柄の方は交通災害の身代り地藏さんで、左側の方は長寿と厄除けの護り地蔵さんであります。
  身代り地藏さんは昭和二十年八月大東亜戦争の終末を告げる頃、当地京橋付近の大空襲の際に、どこからともなく現われた不思議な方で、たまたま本年春頃、この路上に於て自動車の激突事故が発生し、双方の車は接触したまま鯰江川に向かって二転三転したにもかかわらず、運転手にはかすり傷一つなく、エンジンがかかっているのに火災も起らず、気のついた時はこの地藏さんの首だけが飛散していたのであります。
 目に見えないこのお加護と人徳に対して、住民は勿論、特に運転をされる者からは生き仏様として尊敬されるに至ったのであります。
 護り地藏さんは幾度ともなく傷つかれたこの身代り地藏さんをたすけて、鯰江川の埋めたて、新京橋駅と商店街建設工事などに絶対無事故であることを祈願し、併せて野田町から片町へと町名の変更、世紀の万国博覧会の開催、明治百年祭にあたるなど、もろもろを記念して奉祀されたのであります。
 爾来住民は、この両地藏さんは願いごとを必ず果たして下さるものと信仰し、地蔵菩薩十福の恩恵に浴すためにも七月二十四日の祭典日にこだわらず、老若男女事あるごとに感謝祭をおこなうことになったのであります。合掌
 昭和四十四年四月/主催 野田町 千寿会/後援 町内有志一同

 地元で崇敬されているお地蔵さまのようですが、この地域の現代史が分る内容でもあります。

京街道 京阪京橋駅南 2010.1.9  撮影:今駒清則

 京街道は京阪京橋駅に近づきました。写真左は二人地蔵尊がおられるところです。かってはこのまま真っ直ぐに京街道がありました。今は真っ直ぐ行けば京阪京橋駅、京阪モールの建物に突き当たってしまいます。そしてこの道はそこで右に曲っていますが、この曲がり角が京街道と大和街道(古堤街道)の分岐点になります。

京街道 京阪京橋駅北 2010.1.9  撮影:今駒清則

 京阪京橋駅、京阪モールの中を抜けると京街道は北に続いていて、「京街道(その2)」で紹介した道標があり、国道1号線とJR環状線を越えると新京橋商店街、京橋中央商店街のアーケードが見えます。
 大阪で「京橋」といえばこの辺りなのですが、実は地名に「京橋」と言う所は無く、都島区東野田、片町、新喜多一帯を指します。1895(明治28)年に梅田鐵道
(現在のJR大阪環状線)の京橋駅ができたので、この辺りを「京橋」と呼ぶようになったのでしょう。橋の「京橋」とは直線で1.3Kmも離れています。それでこの記事では「京橋」は橋の名のみに使い、一般的な呼び名の「京橋」は「京橋駅」としています。

京街道 京橋延命子安地蔵尊 2009.12.21  撮影:今駒清則

 京阪京橋駅の西にコムズガーデンがあります。大阪市地下鉄長堀鶴見緑地線の京橋駅に接続している地下の飲食街ですが、その地上の京橋公園内北西に延命子安地蔵尊が祀られています。

京街道 京橋延命子安地蔵尊 2009.12.21  撮影:今駒清則

 なかなか立派なお地蔵さまで、この京街道に沿った地域の信仰が篤いようです。由緒書きには文化年間(1804〜18年)のようで、ここに安置されるまでには幾度か移転した経緯が書かれていました。

京街道 新京橋商店街、京橋中央商店街 2010.1.9  撮影:今駒清則

 アーケードのある商店街の道筋はそのまま京街道です。もちろん往時は田畑が広がり、すぐ側を榎並水道(榎並川)が流れていたのどかな風景であっただろうと思うのですが、今は榎並水道の跡形もなく、建込んだ家並の中の繁華街です。これも曲った道筋ぐらいしか名残は見られませんが、それでも商店街の中に「京かいどう」の碑がありました。大阪市が1988(昭和63)年に設置したものです。あちこちの街道に同様のものが見られますがこれは一段と立派です。良い企画なのですがどれも碑文の字体に品がなく、いつも辟易しているものです。(2010.1.12)(京街道・



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